2015年3月28日土曜日

2015/02/25 第83日 思わぬ壁?

ここまでVHSの授業を受けてきて、わかったことがあります。

クラス全員で一斉に、ドイツ語文法の練習問題を解く、となった時に、その出来に差ができてしまう理由。
単純に、文法力の差というのもないわけではないのですが、どうも「問題の解き方」がわからず、つまづいている生徒が多いようなのです。

私たちのクラスでは、会話の練習もたくさんしますが、主に学ぶのは文法の知識です。
なので、教科書に載っている問題を一斉に解くことがよくあるのですが、その時に、簡単な問題でも全く解答欄が埋まらない生徒がいたりします。

ここで言っている「問題」というのは、たとえば、ドイツ語の文の一部が空欄になっていて、そこに適切な単語を記入する穴埋め問題や、文の前半と後半をつないで意味の通る文にするとか、疑問文に対する答えを書く、あるいは逆に答えから疑問文を推測して書くとか、そういう問題。
いずれも、習ったばかりの文法を使った基本問題なので、問題自体の難易度としてはそんなに高くありません。

が、これらの問題を見て、ドイツ語知識の問題ではなく、そもそも「何をすればよいのか分からない」という生徒が、少なからずいるのです。
場合によっては、例題が載っているのに、それを見ても以降の問題の解き方が分からない、ということも。
これにはびっくりしました。
正直、「こんなことが壁になってしまうの?」と思ってしまいました。

ふと考えると、日本人はこのような「問題を解くこと」に慣れていると思うのです。
こういう問題を、私たちは中学・高校時代に、英語の授業や受験勉強で、さんざんやらされてきています。もちろん、英語以外の教科でも、たくさんの問題を解く機会があったはずです。
だから、問題の解き方そのものが日本人には常識として身についていて、それがドイツ語になろうが、問題の解き方くらいはすぐにわかります。
日本の教育、特に英語教育のあり方は批判されることの方が多いですが、悪い事ばかりではないのでは、なんて思ったり。

一方、VHSの生徒たちの出身国は、勉強どころじゃないような社会情勢だったり、学校に通うことが許される状況になかったり、というのがあると思います。(生徒ひとりひとりに、こういう立ち入ったことを聞けている訳ではないですが)

そう考えると、学生時代、定期テストだ、入試だ、と勉強に追われてきた私たちは、ある意味恵まれていたのかなぁ。

ま、これが出来ることと、ドイツ語が「話せる」こととは別なんですけど、問題を解くことができて初めて、自分が授業を理解していることを先生がわかってくれるのは確かですし、テストで点が取れないといけない場面が今後出てきます。
その件については明日。

2 件のコメント:

  1. お邪魔します、フライブルクに住んでる者です笑。毎度楽しませてもらってます♪

    この記事読んで思い出したことがあります。ゲーテのA1.1の教科書の一番後ろに、Was sollen wir tun?って書いてあって、他に載ってる例文はよく使うのに、これだけ正直どの場面で使うんだろうと疑問でした。何をすべきが分からない時って、大抵相手の言葉が理解できていないので、Wie bitte?で事足りるだろうと感じていたんですが、予想外に出番ありましたね。

    言われて気付きましたが、確かに日本人は設問の扱いなどに慣れてる気がします。

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    1. フライベルグさん、読んでくださってありがとうございます!
      確かに、その例文使ったことなかったですね。A1.1レベルだと、相手の言ったことが聞き取れないとか単語がわからないとか、初歩的なところでの「わからない」がほとんどだと思うので、Wie bitte?で事足りたのかもしれません。
      こっちに来たら、相手の言ってることの意図がわからない(これについてはフライベルグさんのブログに書かれてましたね^^)とか、逆にこっちの質問の意図がわかってもらえなくて、全然違う答えが返ってくるとか、けっこうありますね。

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