ドイツ滞在中の妹とふたりでベルリンへ。
私自身は3度目のベルリンですが、ドイツの首都でありとても大きな町です。
まだ行けていないところもたくさんありますし、おそらく夫とは行かないだろうという場所に行く計画も立てたりして、新鮮な気持ちです。
ベルリンへは電車の旅。行きはICE(新幹線)で、ハノーファーから2時間足らずで到着。
ドイツの新幹線も、なかなかの乗り心地ですよ。
あと、ここだけの話、特急電車にお金を払って乗るお客さんは、身なりのきちんとした人ばかりなので、乗ってて安心感・・・。
私自身は3度目のベルリンですが、ドイツの首都でありとても大きな町です。
まだ行けていないところもたくさんありますし、おそらく夫とは行かないだろうという場所に行く計画も立てたりして、新鮮な気持ちです。
ベルリンへは電車の旅。行きはICE(新幹線)で、ハノーファーから2時間足らずで到着。
ドイツの新幹線も、なかなかの乗り心地ですよ。
あと、ここだけの話、特急電車にお金を払って乗るお客さんは、身なりのきちんとした人ばかりなので、乗ってて安心感・・・。
風が強い日は中止になると聞いていましたが、当日はそれほどではありませんでした。
にもかかわらず、運行を休止していました。よほど無風の日しか営業しないのでは。
なので、写真だけ撮って退散。
しかし、せっかくここまで来たので、同じ最寄り駅(Kochstraße駅)の壁博物館(Museum Haus am Checkpoint Charlie)へ。
にもかかわらず、運行を休止していました。よほど無風の日しか営業しないのでは。
なので、写真だけ撮って退散。
しかし、せっかくここまで来たので、同じ最寄り駅(Kochstraße駅)の壁博物館(Museum Haus am Checkpoint Charlie)へ。
旧ソ連の国旗が見えます。
ここは元々「チェックポイント・チャーリー」という、ベルリンが東西に分断されていた当時の国境検問所だった場所です。
第二次大戦後、敗戦国となったドイツは一時的にアメリカ・イギリス・フランスと旧ソ連の領土に分けられ、首都ベルリンも上記4カ国によって分割統治されました。
その後、旧ソ連が統治していた部分が東ドイツとなり、それ以外が西ドイツになりました。ベルリン自体は東ドイツ領内に位置していますが、東西ドイツ分割時に東ベルリンと西ベルリンに分割され、西ベルリンは東ドイツ内の西ドイツ領(飛び地)となりました。
しかし、東西ドイツで格差が広がり、東ドイツから西ドイツへ逃れる人が多数いたため、西ベルリン全体を壁で取り囲んでしまいました。これがベルリンの壁です。
ちなみに、「チェックポイント・チャーリー」という名称は「検問所C」というくらいの意味しかないそうです。「チャーリー」は誰か特定の人物を指しているわけではなく、3番目の検問所だからアルファベット3番目のCで始まる名前にしただけ・・・らしい。
ここには、東西ドイツ分断の歴史や、当時の東ドイツから西ドイツに逃れようとした人たちの様子などが展示されています。
壁を越えようとして射殺された人も少なくなかったそうですし、車の荷台に隠れて西へ逃れようとした人などもいたそうです。
博物館内を見学していた時、ナニ人かは分からないのですがドイツ人ではなさそうな若い女性が、妹に声をかけてきたそうです。
その後もその女性の仲間と思われる別の女性が私たちの後をつけてきて、署名のお願いらしいことを言ってきました。去年ベルリンを訪れた時に遭遇したスリの集団のように。
正直、不快でしたし、とても見学どころではありませんでした。
さすがに途中で係員につまみ出されていたようでしたが、こういった施設の中でさえもそういう人たちが活動しているとは、驚きです。
壁博物館を見た流れで、イーストサイドギャラリー(East Side Gallery)へ。
壁の向こう側はこんな景色が広がっていました。
国が2つに分断されるという悲しい歴史があったとは思えないほど、穏やかな現在の姿。
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